グラムシの可能性

今日はイタリアのマルクス主義哲学者 アントニオ・グラムシについて書きたいと思います。日本ではあまり注目されていない思想家だと思います。

マルクスの思想は有名です。つまり、資本主義に対する批判です。

ブルジョア階級はプロレタリアートを搾取し、プロレタリアートは物象化され、疎外される。しかし、数を増やしたプロレタリアートは、革命を通して社会主義国、そして労働から完全に解放された状態、共産主義国家を実現させる。簡単に言うとこういうロジックです。でも、人間はそう簡単に自らを"解放"できません。実際、毛沢東大躍進政策時には公民公社内で搾取が行われていたそうです。人間は計り知れない生き物です、、、

このようにあたかもマルクスの資本主義批判の思想は"使い物"にならないと思われがちですが、現代でも有効です。現代のビジネスも資本主義の原理で機能しているし、グローバルな形で格差が拡がっている。タックスヘイヴンなんかもその一例でしょう。

さて、グラムシマルクス主義者ですが、アプローチが少し違います。つまり、"文化"の側面を強調しています。文化という言葉は定義しづらい言葉ですが、習慣、ジェンダー、信条、倫理などが含まれると思われます。

ある考え方やイデオロギー市民社会の中でドミナントになり、それによって変化する社会構造にグラムシは注目します。アルチュセールの国家装置やブルデューハビトゥスに近い考えだと思います。

この考え方は国際関係理論の中で援用され、ロバート・コックスやスティーブン・ギルなどによって所謂批判理論が発展しました。

ネオグラムシアンと一般的に言われています。

 この理論的射程はフランスで発展したポスト構造主義にも共通すると思います。フーコーラカン、フェリックス・ガタリジル・ドゥルーズなどが代表的でしょう。精神分析や言語記号学などを絡み合わせ、欲望の流れを説明しています。

しかしながら、思想というのは賞味期限というがあり、「誰々が言っているから正しい」というのはただの権威主義でしかありません。グラムシの思想の有効性に説得力を持たせるには、エンピリカルな実証が必要になるでしょう。

だからといって、思想を学ぶ意味が損なわれるということはありません。学ぶことによって、時にその人の軸となることだってありますから。