東京オリンピックと市民社会

 

久しぶりの投稿。

アウンサンスーチー政権と少数民族浄化の問題が世間を騒がせているようですが、東京オリンピック2020も問題大有りです。

 

Fresh claims that Rio 2016 and Tokyo 2020 Olympic bid teams bought votes https://www.theguardian.com/sport/2017/sep/13/olympic-allegations-rio-tokyo-bid-teams-bought-votes?CMP=Share_AndroidApp_Hatena_Blog

 

英語ですが、簡単にいうと、日本のオリンピック招致委員会が国際オリンピック委員会のある人物に献金し、票を買ったということです。

 

僕は前々から、東京オリンピックに対しては懐疑的な姿勢をとっていました。そもそも、沖縄の米軍基地や福島、及び国内の原子力発電所の問題、近隣諸国との歴史問題等が"解決"できていないのに、なぜ今オリンピックなのかよく分からなかったんですよね。これらの問題に取り組もうとする姿勢すら感じられない。

 

もう"日本"という全体を考えると、絶望感に苛まれます。マジョリティは知らんぷりで、、、、。新自由主義の隆盛で市民社会が孤立化、atomiseしていってますよね。コミュニケーションがほぼできていない。想像力の欠如。Profit-orient な人がすごい増えてるんですかね。

この話もどこか東京オリンピックの件と繋がっているような感じがします。

 

本紹介

ここ最近読んだ本で面白かったものを紹介します。

 

まず「マクドナルド化する社会」ジョージ・リッチィア著

マクドナルド化≒合理化される社会に埋め込まれた不合理を暴き出すという内容です。

10年以上前に出された本ですが、全然古さを感じません。益々合理化またはネオリベラル化する社会を考えるための必読の書です。

 

次に「国家の退場」スーザン・ストレンジ

国家中心主義的な国際関係・国際政治経済学を批判した書。大戦以後の経済・政治構造の変化に注目し、新たなアクターの重要性を説いた本です。

国家のパワーはいまだ重要である一方、多国籍企業や国際マフィアを生み出す市場へのパワーシフトが注目に値する構造的変化であるという内容です。

IPEやIRを勉強する学生にもおすすめしたい。

スーザン・ストレンジの代表作である「国家と市場」そして「カジノ資本主義」も読んでみたいです。

 

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Hell Korea - Hell Joseon

I posted my article about youth in Japan. But, this time I gonna mention about youth in Korean peninsula, which I found relatively similar to Japan.

These are sources:https://www.google.co.jp/search?client=ms-android-sonymobile&hl=en-GB&biw=360&bih=280&ei=RjeIWbrwBYiF8wX6nruIDw&q=hell+korea&oq=hell+korea&gs_l=mobile-gws-serp.12..0i71k1l5.0.0.0.6264807.1.1.0.0.0.0.0.0..0.0....0...1..64.mobile-gws-serp..1.0.0.SGH30bc7xLI

and 

https://www.google.co.jp/amp/s/www.forbes.com/sites/donaldkirk/2016/02/27/what-korean-miracle-hell-joseon-is-more-like-it-as-economy-flounders/amp/

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According to these articles, quite many young people consider their country as Hell.(Hell Jeseon/Hell Korea)

Malaise pervades within Korea due to economic stagnation, uneployment and relentless working conditions.

Similarly, youth in Japan faces same issues whereas the rate of suicide in Korea is slightly higher than Japan.

 

My friend, who regularly go to Korea told me that there is a rise of anti-hegemonic movement such as independent bookshops held by indigenous artists.

In addition, in my opinion, the scale of protest against the former president was more gigantic compared to that of Japan.

 

It is worth noting how Korean Society change in the future.

 

Youth in Japan.

Although it is too subjective to say youth in Japan tends to be inactive, many online articles indicate the same proposition as mine.

 

I am currently preparing for studying abroad for the master degree and I don't belong to any organization such as university or firms.

This situation, however, is unwelcomed in Japan.

In my opinion, it seems to be 'common sense' to belong to enterprises and to enroll in Master course soon after students get bachelor degrees.  The concept, 'gap year' is seldom heard in Japan. Usually, kind of 'gap year' is disadvantage for youth because if students have any blank after graduate from uni, there might be few 'career opportunities' for them.(I reckon this is a sort of myth)

 

For these reasons and youth seems to strongly believe in this myth, they don't try to challenge and start new things on their own including studying abroad or volunteer works in foreign areas. 

 

Once young people are deviant from 'common sense', you are labeled "freeter", the acronym of free-arbiter who is not a full-time worker.

In Japan, the word , "freeter" was becaming used to problematise the inequality and neo-liberal economic policy such as restructuring by Koizumi administration of JLDP.  

But, nowadays the word is used to problematise freeters in turn. I reckon it is their will to decide to work in part-time or full-time and there is no hierarchical critera to evaluate which is superior or inferior, in fact they are mutually suportive and indispensable each other. Nevertheless, many people in Japan, especially upper generation and right-wing politicians and intellectuals accused freeters with lack of 'social responsibility'.

 

So, this bizarre common sense are deeply prevalent in Japanese Society, many young people are so afraid of the deviation from common sense and social order that they cannot start new things even if they hope so.

 

This social structure, in my view, make young people suffocate and participate in the relentless competition of neoliberalism.

This is an irrational situation to improve, isn't it?

 

*Please share your comments and the case of your country if possible. Thank you for reading.

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グラムシの可能性

今日はイタリアのマルクス主義哲学者 アントニオ・グラムシについて書きたいと思います。日本ではあまり注目されていない思想家だと思います。

マルクスの思想は有名です。つまり、資本主義に対する批判です。

ブルジョア階級はプロレタリアートを搾取し、プロレタリアートは物象化され、疎外される。しかし、数を増やしたプロレタリアートは、革命を通して社会主義国、そして労働から完全に解放された状態、共産主義国家を実現させる。簡単に言うとこういうロジックです。でも、人間はそう簡単に自らを"解放"できません。実際、毛沢東大躍進政策時には公民公社内で搾取が行われていたそうです。人間は計り知れない生き物です、、、

このようにあたかもマルクスの資本主義批判の思想は"使い物"にならないと思われがちですが、現代でも有効です。現代のビジネスも資本主義の原理で機能しているし、グローバルな形で格差が拡がっている。タックスヘイヴンなんかもその一例でしょう。

さて、グラムシマルクス主義者ですが、アプローチが少し違います。つまり、"文化"の側面を強調しています。文化という言葉は定義しづらい言葉ですが、習慣、ジェンダー、信条、倫理などが含まれると思われます。

ある考え方やイデオロギー市民社会の中でドミナントになり、それによって変化する社会構造にグラムシは注目します。アルチュセールの国家装置やブルデューハビトゥスに近い考えだと思います。

この考え方は国際関係理論の中で援用され、ロバート・コックスやスティーブン・ギルなどによって所謂批判理論が発展しました。

ネオグラムシアンと一般的に言われています。

 この理論的射程はフランスで発展したポスト構造主義にも共通すると思います。フーコーラカン、フェリックス・ガタリジル・ドゥルーズなどが代表的でしょう。精神分析や言語記号学などを絡み合わせ、欲望の流れを説明しています。

しかしながら、思想というのは賞味期限というがあり、「誰々が言っているから正しい」というのはただの権威主義でしかありません。グラムシの思想の有効性に説得力を持たせるには、エンピリカルな実証が必要になるでしょう。

だからといって、思想を学ぶ意味が損なわれるということはありません。学ぶことによって、時にその人の軸となることだってありますから。

日本の政治システムについて

こんにちは、今回は僕が日本の政治システムについて思うことを書き連ねていこうと思います。

 

メディアを見ていると、報道されるのは「森友学園問題」、「加計学園問題」、「議員の暴行暴言問題」等々で、スキャンダラスなトピックが多いですよね。

 

これまで僕は政治について勉強してきましたが、まず今の状況を見て思うのは政治システムが大きすぎるということです。

まず政治の究極の理想は人びとの生存、人びとの尊厳が脅かされない状態を確保し、かつ最低限度の生活を確保する事だと僕は思います。

しかし、今の"政治家"の状況を見れば、一部のグループの"お金の使い方"や"大人とはいえない罵詈雑言や暴力"がニュースのヘッドラインにあがる有り様です。

そして今日本中には福島原発事故の影響で、県外に避難したのにも関わらず、避難先で生計をたてることすらままならない人が沢山います。また、沖縄では在日米軍基地または基地の新設に対して反対活動しておられる方が沢山います。

このような状況であるのにもかかわらず、私的ないざこざ調停空間に利用される"国会"とは誰のための場所なのか曖昧になりますよね。

 

127,094,745人の人びとの声を反映し、人びと生活を考える場所として、今の議会制民主主義というのはあまりにも割りに合わないと思います。

 

それよりは地域ベースでその地域の問題を中央政府のより少ない干渉のもとで解決していく方が現実的だと思います。

コミュニケーション能力について

コミュニケーションって巷でよく聞かれ、話される言葉ですけど、「そもそも、コミュニケーションって何?」っていう問いかけはあまりされていないですよね。

大学に入ったらコミュニケーション能力をつけろって言われるけど、「じゃあ、今まで私たちはコミュニケーションしてなかったの?」って思ってしまいます。

でも大概謳われているコミュニケーション能力というのは就活向けの"ビジネス"中心のコミュニケーションだと思います。

TOEICの点数が高かったり、ビジネス用語を知っていたり、、、、、っていうのがコミュニケーション能力なのでしょうか?

僕は違うと思います。コミュニケーション能力というのは相手、または他者に自分の思い/考えを立場を越えて伝え、かつ相手の考え/価値観を理解する能力だと思います。つまり、自分の先輩、上司の言動が倫理的に好ましくない場合[何かしらの暴力(直接的/構造的)を孕む]、それに対して物怖じせず異を唱えることができる能力だと思います。また、立場が逆であっても同様です。自分より"社会的地位"(この言葉を使うのは好みませんが)の低いと思われている人が自分の言動に対して異を唱えた場合、対話を通じて彼ら/彼女らを理解する能力であるともいえます。他にも例は沢山あると思います。"場の空気"を読み、秩序を乱さず、上手くその場を切り抜けることがコミュニケーションではありません。場の空気を読むことによって、自分に見えていない誰かの尊厳を傷つけることが沢山あるのです。

 日本の教育システムでは道具的理性(instrumental reason)、つまり、2+2=4であるという命題を導き、証明する能力はたけていますが、2足す2が4である"意味"を考える能力が欠如していると思います。「それってほんまなん?」という問いかけが押しつぶされているように感じますし、年齢を重ねるにつれてそのような問いかけができなくなっている人が多いのではないでしょうか。